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>>107がいいことを言っている。
石原は天才だと思うけど、現場の軍人が独断で兵を動かすという悪しき前例を作った。
それから、諸事情あったにせよ自分が辞めたらバカしか残らないのに軍を去ったこと。
この2つが非常にまずい
253は何回読んでもおもしろいな
トップ絵から管理人が軍オタである可能性が高いと思ってたがやはりな
しかしvipで軍ネタでやる意味がわからん
軍板でやればより中身のあるスレになるにもかかわらず
夜神月みたいな奴だな・
http://ja.wikipedia.org/wiki/石原莞爾
飛びぬけた人物であったことは確かなようだな
つか、同郷出身じゃんかw
もっと記念館とかあってもいいのに…
中国軍25万は正式な軍人の数であって、公安部隊を含めると40万超えてたはず
それを1万の数、当時最下層クラス武装の状況下、5ヶ月で満州を占領
ありえん
このスレを取り上げるとはブログ名に違わないな
石原は大本教の影響を受けてたからな。
戦争の天才ではあったかもしれないが、
政治的にはどうかと。
別にいいんだけど
実際見てきたわけでもないのいかにも私詳しいですよって空気出してるID:3yoTgHZh0がちょっと気持ち悪い
その天才・石原は憲法9条を武器にすべしと説いた訳だが。
お前らの軍略は如何。
俺の名前はこの人を見習えってことで名前が同じの俺乙ww
軍事史に疎いから、こういうネタがあがってくるのは嬉しいなぁ。
管理人は女だってホント?
女でミリヲタって珍しくね?
いいよいいよ~そういうの好きよ~w
#9462
「悪しき前例」は、それを裁かなかったときに生まれたんだと思うが。
しかも最も優秀であると同じコメの中で認めるに至っては、ないものねだりでしかない。
石原莞爾のエピソードが知りたければ、「秘録・石原莞爾」をお薦めする。
石原の友人が書いただけあって、臨場感満載。
ちょっと石原マンセーに偏ってる気はするけど。
そういえば、佐高信が石原本を書いていたなぁ。
内容はwwwwwwwww
>世界最終戦論はもちろんみんな高校時代に通る道だもんな
あるあるww
ていうか戦場は二次→三次元(潜水艦、飛行機)とか
最終兵器の登場で先進国同士の戦争はなくなるとかの先見性はやばいよな。
上司に無理矢理酒飲まされそうになって
「飲むかヴォケ」っつったら
左遷されたんだよな、見習いのとき
世界最終戦論じゃなくて最終戦争論が正しい。
もとは立命館での講演を元にした論考なんだが、出版時に最終戦争論に改題されたはず。
あと、石原の思想が日蓮信仰にベースを置いているというのはもっと語られるべき。
石原個人の激しい性格(東条を面罵するとか)とも関係しているのかもしれん。
日蓮宗なんだ。
創価と根本を同じくするなら、他者批判が激しいのは容易に想像できるな。
61と62は笑えるなwスレ違だがw
石原についての終戦直後のエピソードを少し(元ネタは「秘録・石原莞爾」から)。
板垣征四郎を取調べていたイギリス人検事が石原の病室にやってきた
石原はそのとき膀胱炎で入院中だった。
検事「板垣征四郎を知っているか」
石原「よく知っている」
検事「○○を知っているか」←手元に本が無いので名前失念。
石原「少しは知っている」
検事「板垣と○○の関係を知っているか」
石原「知らない」
検事「…フン、まあいい。明日もう一度来るからその時までに思い出しておくように」
それまで横になっていた石原はベッドからむっくりと起き上がって大喝した。
病室から出ようとしていた検事はびっくりして立ち止まった。
石原「待て!! 貴様!!!!」
石原「忘れたというなら思い出すこともあろうが、知らないものを思い出せとは何事か!!!」
石原「貴様のような無礼な人間とは二度と話さんからそのつもりでいろ!!!」
大喝された検事はそそくさと石原の元から立ち去り、翌日には別の検事が来た。
↑ありがとう。面白かった。
その本買おうかなー。
東條由布子「その石原を追い落とした祖父こそが最強です」
石原莞爾の具体的な作戦を知りたい
東郷ターンみたいな、具体的なやり方を希望
#9510
石原莞爾が実戦で指揮したことって無いような気がする。
そういや、満州に居たときに石原参謀が攻撃機から機上指揮していたことがあったっけかw
戦術レベルで言えば、戦略爆撃の提唱くらいかな、思いつくのは。
#9465
それは違うぜ、生半可な知識を持った連中の集まりだから
勝手に持論を繰り広げて凄惨なことになる。
※9462
独裁制の是非みたいなもんだな
担当者が優秀で間違いを起こさないなら、独裁制は非情に優れるが、
実際はそんなことないので暴走は諫めなければならない
天才が天才用の軍略を推し進めた結果だろうな
凡人が真似すればひどいことになるだけだ
いくら優秀だろうと負け犬は負け犬なんだよね。
真の「戦争の達人」は児玉源太郎。
満州事変がなければ日本は連合側にいたかもしれない。
日露戦争後に帝国主義政策を採らなければ、もっとよい国になっていたかもしれない。
まぁあれだ、軍師といえばモルトケだろ!
第二次大戦のドリームチーム
爆撃機部隊:ルーデル中隊
狙撃兵:シモヘイヘ、ヴァシリザイツェフ
歩兵:442連隊
指揮官:石原莞爾
>#9521
その上にアイクが欲しいな。
空気読めない子なのは明らかだな
石原は師団長時代、兵に優しくて生活向上に尽力を尽くしたから好きだね
古参が風呂に先に入ってドロだらけの風呂に新兵が入る事が普通だったけど、浄化機か何か作って皆が奇麗な風呂に入れるようになったりね。
凄い凄いといわれつつ、実績は?となると
派閥関係に疎くてほとんど何もない人。
あれだ、幕末の竜馬みたいなポジションなんだよね。
この人が第一線で活躍していれば・・・と言われる人。
#9530
細かいツッコミだが、師団長ではなく、連隊長だと思うよ。
仙台の歩兵第4連隊時代で、大佐のとき。
その他にも、兵舎で高く売れるウサギを飼育して除隊して貧しい農家に帰る兵隊に持たせたり、仙台の高校の先生達と交流会をしたり、いろいろやってたと思う。
日満支同盟というが、支が同盟を組むに値する相手だと判断できる理由がわからない
当時からして信用できない近隣諸国トップ3にランクインしていたけど?
#9536
あの人口でインドになだれ込み続けるだけで十分。
あとは満州がソ連を牽制し、日本が欧米に集中するってことだろ。
全ての戦場と政府首脳陣に石原クラスの天才が揃ってないと無理だな。
軍事板の連中が見たら、VIPの評価
ここだけでわかる、と言われるぞ。
なあ、そんなに天才なら何でいかな手段を使ってでも日米戦争で負けないやり方を伝授できなかったんだ?
そんなに天才なら敗戦前のソ連の侵攻をどうして事前に予測できなかったんだ。
日本人ってこんなやつしかいなかったんかよ
明治の人間が見たら人材の低下でなく、人材評価の落剥ぶりに無くと思うぞ
米9555
石原が考えた事はそんな国がどう動くやら、どこに攻撃するやら示したわけではなく、戦争という一体系の今後の展開を描いただけ。そんな具体的な事を予想して百発百中とか漫画の中だけだからwww
それに日米開戦の時点で日本のこんな現状では負けるって知ってたから、負けないやり方の伝授って言うのは無理だろ。
#9532
竜馬は薩長同盟を仲介した(実績有)けど、石原は日華事変で蒋介石の攻撃に対応できず参謀本部作戦部長を首になってる(実績無)からねぇ…。
#9555
天才どころか戦略レベルの思考はかなり程度低い。せいぜい師団長クラスの才能しかなかった男。思想家としては面白い人なのかも知れないけどね。
米9584
戦略レベルが低い男なら満州国立ち上げの時点でその計画が頓挫しているはずだが…。満州事変時の寡で以って衆を圧倒した石原の戦術的センスと、満州国建国に際して石原が持っていた戦略構想はレベルの低い物とはいえないと思う。石原が中央に戻されていなかったら恐らく、満州での五族協和の理念は実現してたし、日満支の三国同盟は現実的であったね。
米9591
その戦術センスを生かして大陸に居座っていてもらいたかったね。
何よりその評価、軍事単語を除けばそのままかつての小沢の評価とまったく同じなんだが、彼が石原と同郷なのは、書き込むあんたは知っているのか?
てか今の小沢を評価している石原好きなんてどこにいる?
#9594
>彼が石原と同郷なのは
( ´,_ゝ`)
※9594
石原は山形、小沢は岩手だ。
小沢は米内と東條父が同郷だよ。
そして彼が大陸から離れたのは中央からの辞令によるもので、小沢が自分の権限内の責任を放棄して別の問題に向かったりしたのとは別問題だろう。
ましてや参院内与党の代表である小沢は、有力な政治的派閥を軍に作れず、軍内の政策を左右できなかった石原とは比較対象として不適だろ。
米9594
嘗ての小沢への評価と俺が石原に下した評価が同じという事は知らなかったし、石原の様な傑物と凡庸なる小沢を同等に語るのはどうかと思うよ。それに、同郷だとしたら今回の話との関連性がどうあるのか、意味が分からないのだが。
現代に於いて強度紛争と表される様になった戦争観を半世紀以上前に提唱(殲滅・消耗戦争の事)できた石原は戦争の一体系を確立したモルトケに勝るとも劣らぬ人物であると評価できる。と、俺は考えてるんだ…。
↑のモルトケは大モルトケの方ね
満洲 ~ 幻の先進工業国家
傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に
年間百万人以上の中国人がなだれ込んだ理由は?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog239.html
#9618
>現代に於いて強度紛争と表される様になった戦争観を半世紀以上前に提唱(殲滅・消耗戦争の事
提唱したのはクラウゼヴィッツ、咀嚼して間接アプローチ戦略を生み出したのがリデルハートです。
石原の専売特許ではありません。
それとモルトケが確立した「戦争の一体系」ってなんですか?
いしはら じゃなくて いしわら か。
#9555
投資信託とかで騙されそうなタイプだなw
#9669
自分だけは賢いと思って足下掬われるタイプだな
・・・人物評価なんて、まあなんとでも言える罠
しかしこの時代には小物しかいやしない
米9669
そういえばTBSのサンデーモーニングで、石原慎太郎の「するともりはない」を「するつもり(フェードアウト)」に編集したのが問題になったとき、謝ってるはずの関口宏が「いしはら」を「いしわら」とわざとに言い換えてたな。
ま、あれだ。
石原莞爾が如何に天才でも、一時代限り。
日本には天才ナポレオンを追い落とした組織人のシャルンホルストやグナイゼナウが必要だった訳だ。
米9640
「提唱」と言う言葉は間違ってたましたね。すみません。モルトケの部分も「戦争の一つの系」ですね。その内容は鉄道や電信です。
知識不足や日本語が下手で申し訳ない。
石原莞爾が天才かどうか判断する前に、よく考えてほしい
石原は第一次世界大戦後約50年でアジア、アメリカ間で世界最終戦が生起するとした。
(実際は約30年早かった)
もし米ソ冷戦を世界最終戦の決戦であったと仮定しても、その後の世界に平和は訪れていない(現在問題となっている対テロリズムという非対称戦まで考慮していなかった)
ようするに天才であったかは疑わしいと
ちなみにマイケル・ハンデル
(アメリカ合衆国海軍戦略大学戦略学教授兼ハーバード大学国際情報センターオリオン戦略研究所準会員)
によれば、真の「戦争の達人」は孫子とクラウゼヴィッツのみ。
次点としてジョミニだそうだ。
あとクラウゼヴィッツの真骨頂はエスカレーション(相互作用)、
つまり戦争を決闘にとらえたことだと思う
石原莞爾は陸軍大学校を次席で卒業したが、これには一説があり、主席卒業者は天皇陛下に進講することになっていたが、石原莞爾がやると何を言い出すかわからないと教官たちが心配し、主席卒業だったのを次席に落としたとの説がある。
彼は部隊勤務しているとき、建前上の制裁禁止ではなく、本当の暴力禁止(陸軍では建前上は私的制裁禁止だったが、だれも本気で禁止しようとはしていなかった)をやり、新兵への暴力を本当に止めさせた。 これをやった士官は本当に珍しい。
連隊で陸軍大学校を受けようとする少・中尉がいると、仕事をさせないで受験勉強させるのが普通だった、これは合格者がいれば連隊の誇りとなるからだったが、石原は受験希望者逆に仕事を増やし、周囲から恨まれたという。
米9714
北進をしての50年と言う事を石原は言ったのではないでしょうか。実際、軍部は南進を優先し、実行した為、世界最終戦が30年早まると言う結果になったのだと私は思います。北進をしていても石原が言う様にはなっているかどうか微妙なんですが。
後、石原の考えていた世界最終戦は日本対ドイツになると言ってませんでしたっけ?
米9716
戦争を決闘に捉えると言う事はどういうことなんでしょうか。「取り決めがある」と捉えていいんでしょうか。
御二方に「これは是非読んで置くべきである」という軍事関連の本を支障が無ければ挙げて頂きたいのですが。
返信遅れてすみません。
当方、戦略よりも戦略立案支援としての情報について興味があります。そのため戦略については少しかじった程度です。
手持ちの本によれば東亜の日本対アメリカとのあいだで準決戦が行われると書いてあります。なので決戦は日本対ドイツかもしれません。(石原莞爾の著作自体を持っていませんので、わかりません)
クラウゼヴィッツがいった「決闘」とは相手が死ぬまで戦うということです。よって戦争においては片方が完全に敗れるまで戦うということになります。当たり前じゃないかと思われるでしょう。しかし孫子は七分の勝を最高としました。追いつめると相手は死にものぐるいで戦ってくるわけですから、こちらも相応のリスクが増します。それを回避しようと考えたのです。
この違いは双方の時代の戦争文化とでもいいましょうか、が異なっていたことが関係しているようです。
孫子の時代は日本の戦国時代のような乱世でしたから、敵のすべてを完全に倒すことは不可能でした。そこで相手を倒すのではなく自分が負けなければよいと考えたのです。
一方クラウゼヴィッツのほうはナポレオンの戦い方を研究し、「戦争論」を書いたのです。当時はフランス(ナポレオン)対その他諸外国(クラウゼヴィッツのプロイセン)という図式でした。この場合、敵はたがいに一つですからなんとしても相手に勝つ必要があったのです。相手の勝ち=自分の負け(ゼロサムゲーム)が必然ですから。この共存不可の場合はどんな犠牲を払ってでも相手を完全につぶす戦略が有利とクラウゼヴィッツは考えました。
細かな点はさすがに全部書ききれませんが、大まかな流れは上記の通りです。
陸軍は北進を主張し、海軍は南進を主張した
んで、結局折衷案としてどちらにも進むことにした。
陸軍の想定した主戦場は満州だが、満州には海がなく、ソ連海軍は革命時の混乱から立て直っていないので、海軍としては不満
海軍の想定した戦場はフィリピンの米軍を撃破し、ハワイからフィリピン救援に向かう米海軍を中部太平洋で迎撃し、土佐沖で艦隊決戦する予定
もちろん陸軍の出番はフィリピンだけの予定
どっちも自分のことしか考えず、国家としての総合戦略は無く、両者の言い分を丸呑みした戦略に突き進み1945年の敗北を迎えた、当然と言える。
軍事の本といいましてもいろいろあるわけで、ここでは戦略についての本を何点かあげようと思います。
一番簡単なのでしたら『孫子・戦略・クラウゼヴィッツ』でしょうね。ビジネス書ですがなかなかわかりやすいです。
同じコンセプトで書かれた本としては『戦争の達人たち』があります。こちらはマイケル・ハンデルだけあって難解です。
戦略家の事典としては『戦略思想家事典』ぐらいしか日本語のはありませんね。ただし地政学者の奥山は戦術家が大半だと指摘していました。ちなみに芙蓉書房出版は戦略関係の大手です。ここから出てる戦略論大系シリーズはなかなか硬派で有名。
最後に中公文庫BIBLIO Sシリーズで戦略思想家の各種本がまともな訳(岩波は論外)で読めます。こんなところでしょうか?
米9732、米9736
その「決闘」の言うところから、どのように「相互作用」と言うものを認識すればよいのでしょうか。ここで言う「決闘」の意味から出てくる「相互作用」とは、私なりの解釈として、戦争行為からのみ及ぼされるという限定的な意味合いが強い作用の事であると考えたのですが、どうなのでしょうか。
米9739
私の一番聞きたかった出版社の情報まで教えて下さいまして有り難うございます。芙蓉書房出版の戦略関連の本をこれからでも本屋なりネットなりで探してみます。
石原莞爾のコメント欄でこんな事を聞いても大丈夫かと思ったのですが、お答えして頂き有り難うございました。
今だからこそ知りたい石原莞爾
スレタイで石原莞爾ってすぐわかったな
満州を占領できたのは石原の作戦よりも張学良が無抵抗だったことが大きい。
あと、253よく引用されるエピソードですが、「東亜の父 石原莞爾」って本の捏造です。
253の発言をしてないのは石原莞爾選集の裁判記録からわかります。
石原完爾が戦争の天才かなんだか知らないが、日本が重大な時期にとんでもない悪影響を与えた人物なのは間違いないな
大命も無く軍を動かした大罪人
軍部暴走のきっかけを作った張本人
決して私利私欲でしたことではないだろうが
その罪は軍部大臣現役武官制を復活させた広田弘毅よりも重いと思う
戦略に先見の明があったのかもしらんが、たかが出先の参謀ごときが大命なく兵を動かし、その戦いがどんなに鮮やかな勝利だったとしてもそれにつづく重大な結果が予測できなかったとすればただのオナニー野郎にすぎないと思う
極東軍事裁判が連合国の茶番ではなく、日本の手で裁かれたとしたら、真っ先に逮捕すべきだと思う
石原は現実的思考力にかけると思う。
考え方はよかったが、現実が見えてなかったんじゃね。満州をきずきあげて日支満同盟をつくることは達成すれば面白いけどシナ人の感情を考えれば無理に決まってる。
それに俺は東条英機がA級ならこいつもA級だと思うし、天才かもしれんが好きにはなれん。逆に東条はバカだが俺は判官びいきだからきらいじゃない。
戦争は上手いかもしれないが
政治と外交は最悪
それが日本
うーん
ここまで凄い人だったのか
が、他の人が言ってる通りだと
確かに結果としてマイナス・敗戦を招いたってことなら残念すぎるな。
どうせならちゃんと才能使い切ってやれるだけのことやってほしかった。詳しいこと全然しらねーけど。
そういや凡人が石原の真似して起こした事件もあったんだよな
失敗に終わったがな
たぶん軍を強くするには一人の天才ではなくて何十人もの秀才じゃないのか?
石原は天才だったがこのひとが消えたとたん弱くなった。軍というのはだれか一人が消えてもカバーできるのが本当の強い軍だと思う。日本は天才にまかしきりだった気がする・・・
なんでVIPって軍事からっきしなのに
ちょくちょくこういうスレが立つの?
※70
ごめんいみわからん^^
当時の戦争は政治であり外交でもあるんだが。
>>75
アウゼビッツだかなんだかの分類はどうでもいいから。
外交は文句なくヘタクソ。
まあ満州側は中央からの命令で無抵抗のまま撤退してただけだけどな
死者数見てみれば一目瞭然
石原はこのデータに触れることなく世を去ったんだろう
これは惚れる